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最近のテレビを見ていると、オネエ系とかオカマといわれるような男が、当たり前のように出演していますが、「男の性」と「女の性」が入り混じって、性そのものが曖昧になってきているように感じます。 男に生まれて女のような生き方をしても、あるいは、女に生まれても自分の人生だから男のような生き方をしてもいいではないかと反論する方もおられるでしょう。
それに対して批判する気はありませんが、ただ自然な生き方でないことだけははっきりしているといえます。 もし、そういう生き方が正しいのであれば、創造主は男と女を創る必要はなかったはずです。 子孫を残すにしても、男と女という二つの性を作らずに、無性生殖のように一つの個体から新たな固体ができるシステムにすれば、そのほうが簡単で、しかも異性間の問題も生じなかったはずです。 しかし現実には女がいて男がいて、しかも互いの存在がなければ種を存続できないような仕組みになっているということは、女は女としての生き方が求められており、男は男としての生き方が求められているということです。 要するに、「男は男らしく」「女は女らしく」というのが、陰陽の基本原則であり、男が女のまねをしたり、女が男のまねをしたりするのは、基本原則から外れているのです。
最近では女性でも筋肉を鍛えて男のような体をしている人がいますが、これでは女性だけに与えられている柔らかさとかまろやかさがなくなっており、当然、ホルモンのバランスも崩れ生理もなくなるなど、女性らしさが失われています。 それだけではなく、社会へ進出している女性の政治家を見てください。 男と同じように口角泡を飛ばして国会で論戦している姿を見ると、もはや女であるという意識も薄れ、女性としての魅力など微塵も感じられません。それは女性としてのしとやかさとか上品さ、あるいは優しさがないからで、男にとって、そんな女を抱くのは、石を抱いて寝るのと同じようなものです。 アメリカでは、女の兵士が銃を持っているのを見かけたりしますが、女性は男には絶対にない母性本能があるので、そういう戦闘環境には向きません。 もし兵士になれば、戦闘機や戦車を操縦することはできるでしょうが、いざ白刃戦になった場合、男は冷酷に人を殺す動物ですが、女の兵士であれば、敵の少年兵を容赦なく殺すことなどできません。それは女の慈愛に満ちた母性本能が働くからです。 女性は孤児になった敵の子どもでも育てようとするし、傷ついた敵の兵士を見れば、助けずに置けない優しい本能があるのです。 ですから、人間の生き方も男と女が創られている限り、陰陽の法則に合った生き方をするのが幸福の第一条件なのです。 |
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