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多くの男性は、自分の性欲をもてあますものです。精を漏らすといったんは心が落ち着くかに見えますが、しばらくすると、またぞろ下半身がムクムクしてきて、これの繰り返しの人生であるはずです。 逆に女性は男の裸を見ただけでは何の性的欲求も起こらないし、女性が男に痴漢をすることはほとんどありません。
しかし、女のほうは行動には移しませんが、心の中ではいろんなことを想像しているのです。 特に若い女性は「あんないい男に抱かれてみたい、あの人の子どもを産みたい、自分がセクシーに迫ったらどんな反応をするだろう」などと男以上に妄想をたくましくしているものです。 「自分はそんな妄想なんかしたことがない」「男と女の交わりなど興味を持ったこともない」という女性がいたらそれはウソであります。 自分は性的なものから離れて清らかな存在でありたいと考えているとしたら、性的なものを清らかでないもの、穢れたものとしてとらえている証拠であり、自分自身が両親の穢れた行為から生まれたということになります。それでは自分の尊厳を自分で否定しているのと同じです。
男の性的欲求は、種の保存本能から手当たり次第に女性に種を植え付けようとする単純なものですが、女性の場合は、もっとも優れた精子を取り込みたいという欲求を生まれたときから植えつけられており、優秀な種を残そうとする本能が、男性との交わりに対する興味や関心の強さとなって現れているのです。 ですから、女性はこれだと思った男性に対しては、全てを捧げて全身全霊を交わりに打ち込むことが宿命づけられているのです。 子孫繁栄のためにもっとも優れた精子を得たいという真剣に望む女性と、女性と見れば相手かまわず相手と関係を持とうとする男性の意識の違いが、性的関心の度合いに差を生じているということです。
ですから、女性のほうが性に対して関心が強いのは当たり前なのです。 見た目では、女性より男性のほうに関心が高いように思われるかもしれませんが、これは陰と陽の違いからそう見えるだけなのです。 男性の「陽」は明らかになるとか、外にあらわれる特質があり、その行動も隠すところがなく陽気にあらわして恥じることがありませんが、女性の「陰」は外に顕れにくく、内に包み込んで外に見せないために、性に関する興味の度合いが違うように見えるだけなのです。 ですから、ベッドにはいるまでは淑女のようにしとやかであっても、行為に入ると大胆になって「もっと、もっと」と男性を攻め立てたりするのは、内に秘めていたものが表面に浮出したときなのです。 |
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